なぜなに中世事情




LIBER IV MEMENTO MORI
―第四話 死を思え― より

黒死病 /「悪い水」とは

ペスト菌(エルシニア・ペスティス)が原因の感染症。ネズミの血を吸ったノミによって媒介し、高い致死性を誇る。症状が進むと敗血症による壊疽で皮膚などが黒ずむため、「黒死病」とも呼ばれた。歴史上何度か大きなパンデミックがあるが、14世紀に中央アジアからイタリア経由で広まったペストの流行は、ヨーロッパ全体で人口の30-60%(諸説あり)を死に至らしめたとも言われている。その後もヨーロッパでは散発的なパンデミックが何度も起こり、中世社会に大きな影響を与えた。しかし、当時は病原体という概念自体がなく、水やそこから立ち昇る臭気によって病気が発生するという説が広まり、入浴の習慣が廃れるなど、水への恐れが生まれてくる。


LIBER IV MEMENTO MORI
―第四話 死を思え― より

「死の舞踏」の絵

14世紀の黒死病のパンデミックは、中世ヨーロッパの社会や文化にも大きな影響を与えた。その黒死病によって変化したヨーロッパの精神文化を象徴しているのではないかと言われているのが、身分や貧富の差なく誰にでも死が訪れることを示し、死を前にして骸骨が踊り続けているのを描写した絵画や彫刻、「死の舞踏」である。15世紀初頭にはパリのサン・イノサン墓地にこうした「死の舞踏」が描かれたという記録もある。「黒死病」で家族や身内を失った者も多く、当時は教会も「メメント・モリ」(MEMENTO MORI、常に死を思え)という説教で現世や生の虚しさを説いたため、当時の人々にはこうした骸骨が踊り狂う絵が身近に感じられたのかもしれない。


LIBER III FIDE, NON ARMIS
―第三話 武器でなく信仰で― より

中世ヨーロッパの魚食

ヨーロッパと言えば肉食というイメージがあるが、家畜の飼養に限界のあった中世では、魚は肉の代替品として非常に重要な食品であった。特に教会が定めた四旬節などの精進日には、肉だけでなく卵や乳製品を食べることは慎まなければならず、魚の需要が高まる傾向にあった。そのため、タラ・ニシンなどを干物や塩漬け、燻製にする産業が発達し、内陸部にこれらを運ぶための交易路が確立していた。特に修道士たちは、原則として肉食が禁止されており、自分たちのタンパク源を確保するため、修道院に養殖池などを設置することもあった。


LIBER III FIDE, NON ARMIS
―第三話 武器でなく信仰で― より

ベルナールとジルベールの頭(剃髪)

中世ローマ教会の修道士たちと言えば、頭頂部を中心に側頭部や後頭部の頭髪を円形状に刈るヘアースタイルをしているイメージがあるが、これはトンスラもしくはトンスーラと呼ばれている聖職者を示す髪型。その起源は宗派等によって諸説があり、はっきりしない。形状も時代や地域などによって異なるが、時代が遡るにつれ、ガリア地方で始まった頭頂部を小さく刈るものが一般的になっていったらしい。現在ではトンスラは廃止され、聖職者が被るカロッタという小さな円状の帽子がその名残と言われている。


LIBER III FIDE, NON ARMIS
―第三話 武器でなく信仰で― より

ブタ裁判

12世紀から18世紀までのヨーロッパでは、人と同じく動物も被告となり、裁判によって刑罰を受けることがあった。これらは動物による殺人や人に対する傷害を裁く場合が多く、目撃者の証言や弁護など、当時の正式な裁判の手続きを踏んで行われている。記録では豚や牛、犬、ネズミだけでなく、バッタ、ゾウムシなどの昆虫が裁かれた事例もある。こうした動物裁判はヨーロッパの法観念や人と動物との関係を考える上で、きわめて有効な歴史の事例と言える。


LIBER III FIDE, NON ARMIS
―第三話 武器でなく信仰で― より

ハチミツと修道院

中世では照明が限られているために、夜は非常に暗いものであった。しかも、ランプの油や蝋燭もそれなりに高価であったが、修道院などでは典礼などでロウソクを多く使用する必要があり、自ら養蜂を行って、蜂の巣を使って作る「蜜蝋」のロウソクを製造することもあった。中世の養蜂業の発展は、修道士たちの技術改良によるところも大きい。また、典礼等の時刻を知るため、燃える速度で時を刻むロウソク時計が使用されたこともある。